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愚痴ることの有効性、そして無意味さ

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事業再生先はもちろん、私たちの日常生活でも「納得できないこと」「腑に落ちないこと」「思い通りにならないこと」・・・ いろんな面で愚痴が出てしまいます。


愚痴が持つ良い点を考えると、その人にストレスが溜まりすぎる前に少しずつでも吐き出すことが出来る/誰かに愚痴ることにより少しは心の平穏状態に近づけることが出来る/気晴らしになる / 愚痴ることにより周りが気づいていない会社の問題点などを共有できる、等が挙げられます。



ストレス社会である現代では、愚痴を我慢すること自体がストレスになりかねず、愚痴る行為の有効性はある程度認めるべきだと思われます。愚痴ると幸せが逃げていく、と昔から言われていますが、本人がそれで潰されるよりもだいぶマシです。


事業再生先でスタッフの意見を求めると、まず最初は愚痴のオンパレードです。それしか出てこない状態です。だから私たちはまず愚痴を出し切ります。ストレス発散させます。


私たちはその愚痴の中に「解決・改良すべき点」「出来れば解決・改良したい点」を見つけ出します。それが事業再生の大きなヒントになっていることも多々あります。もちろん「単なる愚痴」は相手にしません。



私たちもよく愚痴ります。イライラを爆発させる前に愚痴で小出しにしている面もあります。また愚痴っていることが自然と問題提起・指摘になっていることもあります。


ただ、私たちが他の人たちと決定的に違うところ(違うように意識しているところ)は、必ずその愚痴を解決するために動くことです。


自分たちの私利私欲の場合を除き私たちが愚痴を言う時は、お客様のためになっていない状況・お客様に対して失礼な対応・ビジネスとしてやっていることがおかしい現状がそこにあることがほとんどです。


お客様や周りのスタッフ、仲間に対してプロとして恥ずかしかったり悪影響を与えていたりする態度・制度・姿勢に対しては思わず愚痴が出ます。


だからこそ、その愚痴の内容をそのままにすることはまずありません。それがどんな立場の人たちであろうと直接指摘を行います。改善・改良を行うように働きかけます。また自らが動きます。誰かに依頼して解決しようとしても、その依頼が頓挫していると余計な愚痴が出るだけです。



私たちは周りのスタッフや仲間に「愚痴を言うのはいいが、それがわかっているなら改善すればいい。」とよく言います。「そんな立場にはない。」や「○○さんだから言えるんですよ。」と言われたりします。


まず、お客様ありきのビジネスでは上司だろうと本社だろうと誰だろうと「お客様に対して失礼なこと」は指摘すべきです。そこに立場は関係ありません。自分のホスピタリティマインド、確固たる信念があれば間違いを指摘出来るはずです。


また、例えば「あなたたちのようにある程度知識があるから言えるのだ」と言う人は、ただただその「言えるレベル」まで自分を必死で高めればいいだけです。自分からは言えない、というのはそれだけまだ自分に自信がないことの裏返しです。その愚痴内容を指摘するだけの自信がない状態です。その愚痴のベクトルを自分に向けて、まだ「自分で解決できない自分」を奮い立たせましょう。



タイトルに「愚痴ることの有効性、そして無意味さ」と付けた理由はお分かりいただけましたか?

愚痴ることはある程度自分自身の心の平静を保つには有効です。これは自分の中身に関しての話です。しかしそれだけでは外の状況は何も変わりません。愚痴るだけの奴、で終わりです。

愚痴るだけでは「自分の気が晴れる」だけで終わり、「あいつは口だけ」「文句言うだけ」の「言うだけなら誰でも出来る」人です。「夢を語る」だけの人と変わりません。



愚痴る内容を解決しようと動く時に、愚痴は意味を持ちます。愚痴は言ってもいい、言うなら自ら解決へ動きましょう。




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